2019年4月10日水曜日

研究に関するご紹介:本間隆司「国語の教師力向上に資する指導主事の関与の在り方に関する研究」

東京学芸大学の渡辺貴裕先生が、指導主事に対する研修のなかで、本間隆司さん(2018年度修了生)の論文「国語の教師力向上に資する指導主事の関与の在り方に関する研究」(『教育デザイン研究』第9号、2018年)をご活用くださったとのことで、そのレポートをFacebookの記事にアップされていました。

その記事をブログで紹介することの許可をいただきましたので、こちらのブログで、渡辺先生のレポートをご紹介いたします。

渡辺先生といえば、今年1月に、授業づくりの考え方 ―小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ』(くろしお出版)を出版され、本大学院の授業「国語教授法演習Ⅰ」でも、この本の1章分を読みあわせる活動を行ったばかりでした。

論文や書籍に書かれた「会話」を、あたかも戯曲のようなかたちで、読みあわせ、そこから感じることを交流していく…という活動が、指導主事の皆さんの学習活動にもなりえること、そしてその素材として、本間論文に記録されている「会話」がある種のインパクトをもちうることを知ることができるレポートでした

 
長野県教委での指導主事研修終了(今回も谷内祐樹さんにお世話になった)。
指導主事のみ(約190名!)を対象とする研修だったので、ここでの「指導」とはどういうことか?、あるべき姿ややり方を教師らにただ伝えることなのか?という問いから出発。
教師をどういう存在とみなすのか(学習のあり方について「知らない」人なのかすでに学び手としてある種の感覚をもっている人なのか)の話や、コルトハーヘンの「ゲシュタルト」(なぜ教師のふるまいは変わりにくいのか)と「ALACTモデル」(振り返りを深めるとはどういうことか)、経験と省察の重要性などを盛り込んで進行した。
もっとも、おそらく今日指導主事の方々にとって最も「刺さった」のは、最後に扱った、指導主事による指導場面(小学校の先生と一緒に国語の単元構想を練っている場面)の文字起こしの読み合わせだろう。
神奈川県教委派遣で横浜国立大学大学院教育学研究科で学ばれた本間隆司さん(以前石田喜美さんらと共に学会の公開講座でご一緒した)が論文の中で 自身の指導場面を取り上げられており、それを用いた。
(こちら→国語の教師力向上に資する指導主事の関与の在り方に関する研究

ペアで指導主事役と教師役に分かれて読み合わせる。そして、今日の私の話をふまえながら、感じたことや気付いたことを交流する
終了時刻が迫っていて10分にも満たないワークだったが、指導主事による実際の指導場面の文字起こしという極めてリアルなものであるだけに、インパクトは大きかったようだ。

指導主事役として読み合わせをしてみて、直観的に「あ、この人、良い指導主事だな」と感じたという人もいる。一方、読み合わせで、指導主事の働きかけが誘導的に感じたという人もいて、さらにそういう人が別の見方(「良い指導主事だな」)を聞いて受け取り方の違いに驚いていたりする。

私自身、このやりとりを別に「見本」として示したかったわけではない。リフレクションの促進という点からすると不満を覚える部分はあるし、それはすでに本間さんにも伝えてある。

私がこの本間論文で大事だと思う点、そして今日もこれを扱うことを通して強調したかった点は、こんなふうに指導主事による「指導」場面を意識化し、記録に残し、他者と共に検討していくことの重要性だ(つまり「教師教育」の自覚化。今まであまりにも指導主事による「指導」は、個々に、それぞれの無手勝流で行われていて、それを対象化して考えていくことが乏しかったし、またその必要性すらも認識されていなかった。その点での本間論文の価値は大きいし、これの掲載事例の読み合わせを通して指導主事の指導のあり方について考えられた今日の場も有意義なものになったと思う。
今日は拙著わたあめ本をもとにしたワークも行ったが、それが吹っ飛んでしまったくらい(まあそれも悪くない)。

貴重な記録を残してくださった本間さんに感謝!!

研修の最後は、「教師教育」という専門分野の存在のことと、同型性のこと(教師に対して求めることは指導主事が自らの研修において実現できていないといけないし、それは今日の私の研修の進行にも同様に求められる)を話しておしまい。
元々予定されていたスケジュールより繰り上げになってちょっとだけ時間があったので、善光寺をまわって帰る。御利益あるかな(欲深い態度があかんか??)。

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